境界面で遊ぶ

機能不全家族育ちの人間が望みの生活を手に入れるまでとその後の話

大学をドロップアウトした話

私は高校卒業後、大学に入学はしているのですが、退学しています。

そもそも大学受験をした理由がかなりいい加減で、出身高校が進学校だったため大学進学は当たり前という空気が周囲にあったから。

因みに高校が進学校だったのは、当時の校区の中学校が生徒の非行で荒れていたため、心配した親や周囲の関係者に、たまたま自宅から通える位置にあった受験して入る中学校を勧められて進学し、その中学の卒業生は進学校に入るのが当たり前という空気があったから。

 

そして、その根底に「良い学校→良い会社=良い人生」という価値観が周囲に蔓延していたから。

 

しかし、私は運良く(笑)氷河期世代の最後の方だったので、大学受験の頃は既に「それなりの大学の卒業生が就職活動で苦戦している」という状況は見聞きしていました。

周りの受験生や関係者の人々は、「自分たちが卒業するのは何年も後だから関係ない」とか「そうは言ってもやっぱり大卒とそれ以外の人は社会の扱いが違うよ」という考えが殆どだったと思います。

私自身は、子供時代に経験したバブル崩壊後からの長い低迷が、自分たちが社会に出る頃に都合良く改善するとは思えませんでしたが、大卒者が社会的に有利なのは事実なので取り敢えず大学に入学してみたものの……

 

入学後に気づいたのです。確かに大卒という肩書にメリットがあるのは事実ですが、私にとっての良い人生を送るのに、大卒であることは必要ないということに。

そして、大卒の肩書き自体は私にとっての良い人生の邪魔にはならないものの、昔から私は独学が大好きで学校教育が大嫌いだったということに。

 

中・高・大と空気に流されるように過ごしていたのは、学校が嫌いなので真剣に取り組む労力が惜しかったから。

それよりも、自分の好きな勉強をする方が何倍も楽しかったから。

 

自分の好きなことをするために、嫌いなことも頑張ってしようと我慢して疲れ切り、結局、自分の望み通りの人生を送れなくなってしまう……そんな未来が見えてしまったので、思い切って中退しました。

試論・どこからが浮気か問題

先日の記事で、夫とどこからが浮気と感じるかという問題が結局同意見だったので、違う意見の者同士が落としどころを探るという話し合いの醍醐味が味わえませんでした。

 

amorphous.hatenadiary.jp

 なので、「自分以外の異性と二人きりで会ったら怪しい」VS「異性でも友達なら二人で会うのは普通」と意見が対立した場合を想定しての建設的な話し合いをシミュレーションしてみました。

以下、前者の考えの人をナシ、後者をアリと呼ぶことにします。

 

アリ・ナシ両者の関係を維持するという前提で選択肢として考えられるのは、

A.アリが異性の友人と二人きりで会うのを止める。

B.ナシがアリの「友達付き合い」のやり方を容認する。

の2パターンです。

 

どちらを選ぶのが良いかというと、両方のパターンは本質的にはアリが異性の友人と会うか会わないかを選ぶという形ですので、アリの性格が基準になります。

アリが行動を制限されることを好まない性格ならB、「異性がダメなら同性と遊べばいいや」と考えるような性格ならAの選択が妥当です。

 

いずれにしても、大切なのは相手に対して感謝の心を忘れないということだと思います。

Aを選択したならナシがアリの気遣いに感謝し、Bならアリが自分を理解して認めてくれたナシに感謝する、というように。

 

このシミュレーションは私自身も少々拍子抜けするほどシンプルな結果になりましたが、現実にはこういった価値観の違いは非常にデリケートな問題ですし、感情的には割り切れないものがあるかと思います。

 

しかしながら、「意見が食い違ってどうにもならないけど、お互いのことが好きで別れたくない」という時に、このように単純に考えてみると解決策が見つかるかもしれません。

どこからが浮気か問題

先日、夫にどこからが浮気と認識するかという話題を振ったのですが、結論としては、両者とも異性と約束して二人きりで食事したらで一致しました。

 

人によっては潔癖すぎる感じがするかもしれませんが、もともと私と夫の人付き合いのスタイルは似ており、わざわざ約束して異性と二人で会う(デート)をするのは恋人になる可能性のある者同士が踏むステップという共通認識があるため、配偶者がいる以上は必要ない行為だと見做していたため、あっさりと同意見に。

 

これがどちらかが異性の友人と二人で会うのは普通と思っていたら、もう少し込み入った議論になったところですが。

夫はどうなのか分かりませんが、私は相手に何をされたら浮気と思うかではなく、自分が何をしてしまったら相手に浮気を疑われても仕方ないかという視点で考えています。

どちらも答えは同じ異性と約束して二人きりで過ごしたらなのですが、前者の視点は自分がどういう人間でどんな人が好みなのか考えるときや相手に自分の気持ちを分かって欲しいとき、後者は建設的な話し合いの時に有効かと思います。

 

私個人は面倒くさがり屋で、浮気のような手間の掛かることはやる気が起きないので夫以外の男性とデートすること自体があり得ないことです。

ですが、夫と対等な関係で話し合いたいと思っているからには、相手が自分と同じ考えとは限らないということを常に頭において、感情的にならずに相手の意見を聞いて双方が納得する着地点を一緒に探るのが大切だと思っています。

相手に何をされたら~と考えていると、それをされて嫌な自分の方に気がいってしまい、自分はこうだけど相手はどうなのかという視点が抜けてしまいがちになるように思います。

 

私は割と思い込みが激しく、それを欠点だと思っているのですが、逆に言えば意思の強いところは長所でもあるので、ただ自分の考えを抑えるだけでは欠点を直すどころか長所を殺すことになってしまいます。

しかし、自分の考えを貫き通すことは時には周囲との衝突を生み、大事な人との関係を悪くすることもあるでしょう。

第一、自分の思いが大切なら、相手も自分の思いを大切にしてることは当然だと考えなければ筋が通らない話になってしまいます。

 

そういう事情で、何か疑問が生じたときは目的(この場合は浮気に対する価値観の違いに悩まされずに穏やかに暮らしたい)に沿うように問いの立て方を工夫することで、頑固な性格が悪いほうに出ないように気を付けるようになりました。

 

というか書いているうちに自分の思考過程を追うのが面倒くさくなってきました…

^^;

最期に何を思うのか

当ブログでは婚活の話題が中心になっていますが、私個人としては「結婚するしない」、また「結婚するとしたらその目的は何か」というのは当事者の自由だと思っています。

 

婚活の目的は言うまでもなく結婚することですが、私自身の真の目的は「たった一人の人と心を通わせること」でした。

人生の終わり、死ぬ間際に確実に後悔し、それまでの人生に絶望することがあるとすれば、「その心に触れた、そして私の心にも触れてくれた」と確信できる相手が一人もいなかった、という理由であろうと思ったからです。

 

このただ一人の人と心を通わせたいという望みは若い頃のほうが強かったように思います。

私が今よりももっと未熟で心の支えを他人に求めていたからでしょう。

 

三十代後半に差し掛かる頃には、自分にこういう望みがあったことをほとんど忘れかけていました。

精神的な自立が進み、人に頼らなくなっていくにつれて、意識しなくなっていったのでしょう。

 

しかし、人生も半ば近くの年齢になって、それまでの私の生活に付きまとっていた諸問題にも整理がつき、ようやく「これからの人生をどうするか」具体的に考えられるようになった時に、心の奥底にしまい込んでいた「心に触れ合いたい」という気持ちを思い出しました。

そして、まだ若くて未熟で人に頼りたいという依頼心が強かったり、それ故に相手が思い通りにしてくれないと傷つくから嫌だという臆病で身勝手な心持ちではなくなってきた今のほうが、よりこの望みを叶えやすくなっているのではないかと考えるようになりました。

 

人生の最期を悔やまずに終えられるように、最大にして唯一の望みである「その心に触れ、私の心にも触れてほしい」と思えるような相手を見つけるにはどうすればいいのかの答えが婚活だったのです。

 

婚活している人の集団の中から探せば、真剣に相手に向き合いたいと思っている人の割合が他の集団より高いので、私の望みが叶う確率が上がります。

しかし、婚活の成功率自体が低いので、自分とは結婚相手としての条件が全く異なる他人と同じやり方では高確率で失敗します。

 

婚活を成功させるには、自分の持てる強みだけではなく、一見弱みに見える年齢のことや境遇のことも全て利用し尽くしてやる、くらいの気概がなければ難しいだろうと思いました。

精一杯生きてきた人生の最期に奈落の底に落ちるような絶望を味わうくらいなら、まだギリギリ間に合いそうなうちに多少傷つくことを覚悟のうえで行動することを躊躇う理由はありませんでした。

 

幸いなことに若い頃よりは人を見る目が養われている(たぶん…)ので、今のほうが結婚相手を探すのに有利なくらいでした。

 

とことん前向きに考えると、何でも出来そうな気がしてくるので不思議なものです。

【婚活の心得】5 嫌いなタイプとは本当に合わないのか

私は婚活サイトで今の夫のプロフィールや自己紹介を兼ねた日記を読んだだけで夢中になってしまい、自分から必死になってアプローチしました。

自分のそれまでの奥手さからは考えられないことで、夫にも私に恋愛経験がないことを話してあったので、彼に対する大胆な行動を不思議に思っていたようです。

 

結婚前の交際中の時に薄々気づいていたのですが、誤解を恐れずに言うなら彼は大きく分けて私の父親と同系統のタイプです。

そして、私は父のことが大嫌いです。同じタイプの人と結婚したら不幸のどん底になると思っていました。

 

私は二十代前半の頃に、女性は父親と似たタイプの男性を結婚相手に選ぶという言説を知り、そうならないように非常に警戒していました。

しかし、夫の自己紹介に一目ぼれして、彼の外見も知らないのに結婚するならこの人しかいないと入れ込んでしまいました。

 

実際、彼との結婚生活はとても幸せです。

嫌いなタイプのはずの人と結婚したのに幸せなのです。

 

何故なのかというと、彼は私の父親の持つ短所をほぼ全て長所として活かしている*1からです。

私は父の短所をひどく嫌っていたのですが、それと同時に父親のようなタイプに慣れてもいたのです。

子供の頃から一緒に生活していたため、そういうタイプの男性と過ごすことが得意になっていて、不本意ながら結果的に自分に合う男性が父と同系統の人になってしまったのです。

 

つまり、父のような男性と結婚するのはどうしても嫌なのですが、かと言って父とは正反対の気質の男性とは一緒にいても居心地が悪くなってしまうというジレンマに陥ってしまっていたわけです。

そして、私は父のようなタイプの男性を嫌っていたのではなく、父のようなタイプの男性にありがちな短所を軽蔑していたのです。

 

その父と同系統でありながら、もともとは持っているはずの短所を努力と才と時間をかけて克服した人は、私にとって子供の頃から憧れていたヒーローに他なりません。

この世に存在するとは想像もしていなかった人が目の前に現れたのですから、夢中になったのも当然だと思い至りました。

 

こういう現象が起きるのが人間関係の難しいところでもあり、面白いところでもあると思います。

*1:長所と短所は同じコインの表と裏のような関係を持っています。例えば長所が頼りがいがある、短所がワンマンなところがあるなど。