境界面で遊ぶ

機能不全家族育ちの人間が望みの生活を手に入れるまでとその後の話

閑話休題 その2 「生きづらさ」について

「生きづらさ」とは何でしょうか。

前回、家庭での養育で満たされなかった子供が大人になってから「生きづらさ」を感じる、という主旨の話をしました。

 

話をシンプルにするために動物(哺乳類)の子育てにたとえましょう。

 

動物の親は子どもが「生きる力」を身に着け、自立できるようになるまで育てます。

「生きる力」とは何でしょうか。

それは、「自らにとって他の生き物や物事が有益か無益か、有害か無害か識別(=『認知』)し、それに基づいて適切な『行動』をすること」です。

 

具体的な「生きる力=認知行動」の例としては

  • 自分に必要なだけの食糧を手に入れる
  • 外敵を避け、いざというときは戦う
  • 安心できる居場所を見つけ、維持する
  • 自分にふさわしい伴侶を見つけ、子どもに自分の持つ上記のような「生きる力」を伝える

などが挙げられるでしょう。

 

動物の子どもは親の全面的な庇護のもと、少しずつ「生きる力」について学んでいきます。

全力で守らないと子どもはすぐに死んでしまうので、親も必死です。

このときに子どもが認識する「絶対的に庇護されている」という感覚が、人間でいうなら「自分は愛されている、その世に存在していてもいいのだ」という実感なのだと思います。

 

動物の子が「親がいるから何があっても大丈夫だ」という感覚があるから、時には危険を伴う「生きる力」の学びが出来るように、人間における「生きる力」を身に着けるための土台がこの実感なのだと思われます。

この土台がしっかりしていないと「生きる力」が育ちにくいのではないでしょうか。

 

動物の場合、これらの力を子どもに授けることに失敗するということは、即座にその子の死を意味します。

しかし、人間の場合、特に安定した社会で生活している人間の場合、これらの力が欠けていても、即、死に結びつくわけではありません。

つまり、人間の親がその子に「生きる力」を伝えることに失敗しても、もっと言えば、その親自身が「生きる力」に問題を抱えていても、その子は死なずに生きていくことは可能だということです。

 

しかし、もともと「生きる力」が順調に育っていないのですから、とりあえず生きてはいても「何だか上手く行かない」と感じるようになるでしょう。

 

これが「生きづらさ」の正体なのではないかと私は思います。

 

しかし、この「生きる力」は自力で身に着けることが出来ます。

これが「生きづらさ」を抱える人たちの光明になると私は思います。