境界面で遊ぶ

機能不全家族育ちの人間が望みの生活を手に入れるまでとその後の話

番外 「正しい認知行動」のその先へ

自分にとって適切な認知行動が出来るようになってきたら、それをさらに発展させたくなってくるかと思います。

そのまま我が道を突き進んで行きたくもなりますが、立ち止まって考えると別の道も見えてきます。

 

自分の認知は良い面と悪い面、両方を併せ持っています。

つまり、喜びを生む源であると同時に、苦しみの源でもあります。

実は生き物が喜びや苦しみを感じたとき、体内で起こるストレス反応は同じものです。

では、どうやって自分のストレス反応の快・不快を区別しているのかというと、さまざまな要因が絡んでくるようで、明確な結論を出すに至っていないようです。

つまり、自分の認知の良い面を活かそうとすると、その悪い面に振り回される可能性も避けられない、ということです。

 

これ自体を無くしてしまえばどうでしょうか?

認知とは(大抵は無意識に)自分にとって何が有益か無益か、有害か無害かを識別することです。

この「分けて考える」ことを止めてしまえば、ストレス反応そのものから解放されるのではないでしょうか。

 

前者の生き方がアドラーの心理学やマズロー自己実現理論の流れに通じ、後者の生き方が仏教の悟りや老荘思想に通じるものかと思います。

 

「自分を活かしきる」ことに心血を注ぐのか、それとも、全てから解放され、無の境地に至ることを目指すのか。

 

いずれにしても、その先に何が見えるのでしょうか。

 

人として生まれ、生きるということは、到達しえない高みを垣間見れる可能性を秘めている、ということです。

 

人として生きるということは、大変な苦しみでもあり、大きな喜びでもあります。