境界面で遊ぶ

機能不全家族育ちの人間が望みの生活を手に入れるまでとその後の話

最期に何を思うのか

当ブログでは婚活の話題が中心になっていますが、私個人としては「結婚するしない」、また「結婚するとしたらその目的は何か」というのは当事者の自由だと思っています。

 

婚活の目的は言うまでもなく結婚することですが、私自身の真の目的は「たった一人の人と心を通わせること」でした。

人生の終わり、死ぬ間際に確実に後悔し、それまでの人生に絶望することがあるとすれば、「その心に触れた、そして私の心にも触れてくれた」と確信できる相手が一人もいなかった、という理由であろうと思ったからです。

 

このただ一人の人と心を通わせたいという望みは若い頃のほうが強かったように思います。

私が今よりももっと未熟で心の支えを他人に求めていたからでしょう。

 

三十代後半に差し掛かる頃には、自分にこういう望みがあったことをほとんど忘れかけていました。

精神的な自立が進み、人に頼らなくなっていくにつれて、意識しなくなっていったのでしょう。

 

しかし、人生も半ば近くの年齢になって、それまでの私の生活に付きまとっていた諸問題にも整理がつき、ようやく「これからの人生をどうするか」具体的に考えられるようになった時に、心の奥底にしまい込んでいた「心に触れ合いたい」という気持ちを思い出しました。

そして、まだ若くて未熟で人に頼りたいという依頼心が強かったり、それ故に相手が思い通りにしてくれないと傷つくから嫌だという臆病で身勝手な心持ちではなくなってきた今のほうが、よりこの望みを叶えやすくなっているのではないかと考えるようになりました。

 

人生の最期を悔やまずに終えられるように、最大にして唯一の望みである「その心に触れ、私の心にも触れてほしい」と思えるような相手を見つけるにはどうすればいいのかの答えが婚活だったのです。

 

婚活している人の集団の中から探せば、真剣に相手に向き合いたいと思っている人の割合が他の集団より高いので、私の望みが叶う確率が上がります。

しかし、婚活の成功率自体が低いので、自分とは結婚相手としての条件が全く異なる他人と同じやり方では高確率で失敗します。

 

婚活を成功させるには、自分の持てる強みだけではなく、一見弱みに見える年齢のことや境遇のことも全て利用し尽くしてやる、くらいの気概がなければ難しいだろうと思いました。

精一杯生きてきた人生の最期に奈落の底に落ちるような絶望を味わうくらいなら、まだギリギリ間に合いそうなうちに多少傷つくことを覚悟のうえで行動することを躊躇う理由はありませんでした。

 

幸いなことに若い頃よりは人を見る目が養われている(たぶん…)ので、今のほうが結婚相手を探すのに有利なくらいでした。

 

とことん前向きに考えると、何でも出来そうな気がしてくるので不思議なものです。