境界面で遊ぶ

機能不全家族育ちの人間が望みの生活を手に入れるまでとその後の話

政治家の資質

先日、夫が懇意にしている政治家の方のお誕生日会に列席してきました。
主役の政治家さんの同志である政治家さん達もご臨席でしたが、いずれも有権者の目線を大切にして下さる立派な方々です。

 

このような貴重な体験をして、私はある過去の出来事を思い出しました。
それは私がまだ中学生の頃、当時通っていた学校で全国各地の教員、教育関係者を招いての催しの準備に生徒が参加していた際の話です。


授業もなく特定の仕事もなかった私は暇を持て余し、校内をウロウロしていました。
そこに丁度良い所にいたとばかりに担任教諭に呼び止められ、空き教室に連れていかれ「ここにある大量の模造紙(過去の生徒が何かの研究結果をまとめたものが書かれていた)をこの教室に展示するように、もちろん一人では大変だろうから下級生を何人か連れてくる」と言われました。
何が何やら分からず、しばらくその場で待っていると先生が知らない下級生を何人か伴って帰って来て「じゃ後はよろしく」と去っていきました。


仕方がないので、何も分からない生徒に任せたということは、展示物の順番とか配置とかの整合性は重要ではなく、とにかくこの教室内に収まっていればいいのだろうと都合の良い解釈をして活動開始しました。
この偶然集められた下級生たちというのが有能でして、シンプルな指示を出すだけでテキパキと働いてくれました。
そしてただ上級生というだけの知らない人間を「先輩、先輩」と敬って、指示を仰いでくれました。

 

私はその時、不思議な高揚感を感じていました。
自分が何を完成させようとしているのか大雑把な枠組みしか分からない状態で、複数の人間が別々の動きをして、バラバラに指示を求めてくる中で瞬時に判断を下し、その結果、仕事が完成したのです。

 

私はこの高揚感に危うさを感じました。
それは人を簡単に思い通りに動かせた快感でした。
このことに殊更、快感を覚えたのは、私は以前やりたくないのに推薦されて多数決で学級委員をしたことがありまして、クラスをまとめるために出したくもない指示を出す立場になったことがあるからです。

逆らう人間もいましたが、彼らは自分の意思を持っている分、良い面も見えるのですが、文句だけは言う、こちらのミスを指摘する時だけ声を上げる人間もいまして、彼らの反発を買いにくいやり方を工夫しなければなりませんでした。

 

大袈裟ですが、足を引っ張られながら苦労して民主政治を行ったことがある人間が、有能な部下を得て専制政治を行った時に覚える高揚感と同種のものでした。
しかも自分が望んで得たことではないので、失敗した際の責任を負わなくていい、成功したらその成果は全て自分のものというおまけつきで。

 

このような体験をしたので、今回お会いした自ら立候補して民主政治を行っている政治家の方々には尊敬の念を覚えます。

彼らは人に対して働きかける立場ですが、大変なご苦労と己れを律する責務を負っておられます。

人には得意不得意があり、私の目指すべき姿ではないと感じました。

私は人を動かそうと試みることでイライラしたり、はしゃいだりして自分を見失うのが好きではない、自分自身に働きかけることのほうが好き、そういう自分でありたいのです。